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太陽を抱く鉄塔 |
平成24年5月16日 |
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日中は真夏のような暑さでしたので、夕方から徘徊をスタート。
兜川、角山付近の橋の上から眺めると、沈みゆく太陽を、高圧線の鉄塔が抱きしめている姿が目に入りました。
たまたま、こういった景色を目撃しますと、普段決して好ましくは思っていない鉄塔という構造物も、太陽の力を
借りて美しくすら見えてきます。世間でかまびすしい金環日食を見るつもりはありませんが、やはり太陽の力は偉大ですね。 |
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若葉駅前の桜 |
5月15日 |
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雨もよいの中、用事があり、久しぶりに東上線若葉駅に降り立ちました。
30数年前、この駅が生まれたばかりの頃、ここから毎日、都心に通っていた数年間が懐かしく思い出されます。
ホームに降りて、先ず目を惹いたのは、横に並ぶ看板の殆どが、医院など医療関係で占められていたことです。仏壇屋のものもありましたが、高齢化社会が、正に現実となっております。
東口は、当時細々していた桜が、今や堂々たる大木になって陣取っていましたが、筑波大の用地だった空き地に若葉ウォークができた以外は、あまり様子が変わっていません。
駅前の公団マンションはいかにも古びた感じになり、1階の店舗スペースは、往時の活気が失われておりました。隣の、たしか平和相互銀行の支店だった建物は、居酒屋などの雑居ビルになっていました。
当時は工場と雑木林だった西口は、マンションやスーパーが立ち並び、すっかり様変わりです。
毎朝ホームで、季節ごとに移ろいゆく雑木林の姿を楽しみながら、電車を待っていたものでした。
住宅公団の大規模開発と共にスタート、発展、成熟し、そしてまた変遷して行くのであろう駅前の景色を、この桜はどんな思いで見続けていくのでしょうか、聞いて見たい気がいたしました。 |
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けやきの風格 |
5月14日 |
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小川町を徘徊していますと、姿の良い大木が多々目にとまります。
小川高校裏、兜川沿いに並ぶけやきの大木。その風格ある姿に、いつも感心してしまいます。 |
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卯の花の匂う垣根に |
5月13日 |
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昨日、植木屋さんが植えていってくれた卯の花。
今日は初夏のような陽気になり、まさに「卯の花の匂う垣根に
・・・夏は来ぬ」といった気分になりました。例によって、古代史絡みの話ですが、「卯の花」 を「禹の花」だとして幻想を膨らませると、面白いことになるのですが・・・。このことは「岸辺の四季」でも、ちょっと触れています。 |
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増尾の谷戸奥に、人知れず佇んでいる沼。都内の名園にある池よりも、より磨かれた庭園美を感じてしまいました。人の気配がまったく無いことが、
風景の品位を、一層高めている気がいたします。 |
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果てしなき道の彼方に・・・ |
5月12日 |
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下横田付近の農道にて。
季節が逆戻りしたような、涼しい風が吹き、北海道を旅しているような気分になりました。
果てしなき道の彼方、限り無きゼロ地点に向って、白い雲の群れが、ゆるやかに収斂していくようでした。 |
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庭のこと |
5月11日 |
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何処を徘徊しても、気になって仕方ないのは、今時の家に多く見られる庭造り、コンクリート固め趣味です。気象に対する影響などと大袈裟なことを考えなくても、見ただけで気持ちがささくれ立ってまいります。
荷風作「つゆのあとさき」のヒロイン、君江のパトロンである清岡とは違って、彼の老父は風流を愛する学者であり世田谷に住んでいましたが、
その家の、木々に満ちた庭の描写は素晴らしいですね。ほんの3〜40年ぐらい前までは、その先生のお宅のように風雅な雰囲気の庭が、都内で散見されていたものでしたが・・・ |
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桜のみどり葉の中に包まれた笠山と堂平山。ついこの間まで
は、つかの間でしたが、花で囲まれていました。この景色に惚れこんで、ここに転居してきた老夫婦もいるとか・・・ |
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不安定な天気を雑草で改善? |
5月10日 |
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午前中は晴れて蒸し暑かったのですが、午後から急変、急に気温が下がって雨が降り出したかと思うと、ふたたび晴れ渡ってきました。
不安定な天気が続いて、大きな竜巻まで発生しましたが、これら一連の気象現象は、田畑の無秩序な宅地化にも一因があるともいわれています。緑が減り、庭をコンクリートで固めた家やマンションばかりになれば、気象がおかしくなるのは当然といえるかもしれません。庭のコンクリートをすべて剥がして、雑草に替えてみたらどうなるのだろうかと、妄想してみたくなりますね。
写真は黄色いヘビイチゴの花とカエルッパ。私の小学生時代、見慣れた道端の風景ですが、最近は、都内ではもちろん、川越あたりでも、ほとんど見られなくなってしまいました。 |
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穴八幡古墳 |
5月9日 |
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増尾の穴八幡古墳。
見晴らしの良い高台にあるのは同じですが、参拝者が多く大きな神社になってしまった早稲田の穴八幡と違って、こちらは人けが無く、「日本昔ばなし」に登場するような雰囲気があり、見とれてしまいます。 |
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ミズキとハナミズキ |
5月8日 |
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兜川土手にて、控えめに咲くミズキの花。
似た名前のハナミズキは、小川町駅前の通りで、今を盛りと咲き誇っていますが、昔から、この目立たないミズキの方がハナミズキで、あちらはアメリカハナミズキだと思い込んでおりました。含羞んでいるように咲くミズキには、これ見よがしのハナミズキより、よっぽど上等な魂を感じてしまいます。 |
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老人と山 |
5月7日 |
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山の遭難のニュースが続いています。
高齢者の遭難は、同じ世代の老人として、看過しにくい気になってしまいます。
乱暴な、結論的な言い方を敢てするならば、60代、70代以上の老人は登山をしてはいけない、ということに尽きます。「山」といっても、たとえばケーブルカーなどを使って、高尾山のような山に登るのは「ハイキング」というべきでしょうか。「ハイキング」は問題ないのですが、「登山」は絶対にするな、ということです。
まして「登山ブーム」とかの馬鹿げた風潮に乗って、有名な高山に、気軽に登るなどとんでもないことでしょうね。
昔から、個人的には、富士登山などを苦々しく思っております。富士山をはじめ、日本の山々は、ほとんど、神々が鎮座まします霊山です。山を真に愛する気持ちがあるならまだ許せるのですが、頂上をきわめてご来光を見たという自己満足や自慢するためだけに登って、霊山を汚してほしくないという気持ちです。
ちょっとテーマから外れてしまいましたが、老人たちに言いたい、山をなめないでくれたまえ、と。さらに若者を含めて全ての登山者たちに言いたい。山は本来、獣と精霊たちのテリトリーであり、猟師以外の人間は立ち入ってはいけないエリアなのだと。
「山は鳥や獣に任せておくべきだ」、若かりし頃、年中、山中を放浪していた私の出した結論でした。 |
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小川町のこんぴら様 |
5月6日 |
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昨日は、連休期間中、一番の好天気で、日ざしは強いのですが、空気はカラッとしており徘徊しやすかったですね。
飯田神社に初めて参拝しましたが、もともとは琴平神社だったので、地元では「こんぴら様」で通っているようです。讃岐の本宮に似て、参道は長い石段になっておりました。
讃岐の国は、私観邪馬台国論にとって注目すべき場所の一つなので、昔、何回か、千何百段かの石段を登って琴平神社の本宮に参拝した記憶があります。
左にある道が、どうやら、いわゆる女坂のようなので、楽をしようかと、そちらから登ってみたら案の定、社殿裏にたどり着きました。竹沢の熊野神社同様、人の気配は皆無でしたが、
山つつじが目にやさしい淡いオレンジに咲く森に囲まれた、立派なお社でした。 |
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西中学校横の道を少し入ると、里山と谷戸の見事な風景に出会うことができました。 |
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仙元山の麓にて |
5月4日 |
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雷鳴がとどろき降り出したかと思うと、じきにカンカン照りつけたりと、不安定なお天気の中、仙元山付近を徘徊。
写真は仙元山麓、高西寺付近の龍谷薬師
。観光コースに入っていないのか、人の気配がまったく無く、ひっそりと佇んでおりました。先月20日、21日と続けてお参りした、竹沢、熊野神社のお寺版といったところでしょうか、「古寺巡礼」の和辻哲郎のような気分になって、また訪れてみたくなるお薬師さんでした。 |
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仙元山麓を都幾川方面に向う八高線線路。
線路のある風景は、やはり、架線が無い方がいいですね。 |
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フンの話 |
5月3日 |
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昨日から降り続いている記録的な豪雨も、夕方には小降りになってきたので小回りコースで徘徊。普段は細々と流れている兜川も、濁流が渦巻いておりました。
桜の幹に貼られた、犬の飼い主に対する注意のポスターが目につき、それから敷衍して、フンについて色々考え出してしまいました。
犬は嫌いではないのですが、昔と違って、鎖でつないて散歩させることや、フンを始末しなきゃならないことを考えると、飼う気が失せてしまいます。
小学生の頃、犬を飼っていて、毎日散歩させていましたが、フンのことなど、考えたこともありません。野良犬も多かったし、今より犬の姿が溢れていたような気がしますが、道にフンがころがっていたという記憶がありません。
当時、大概の道は未舗装、土が剥き出しで、道端は雑草だらけだったので、一雨降れば犬のフンなど、すぐ溶けて土に同化されていたのでしょうか。
アスファルトの上のフンは、いつまでも残っているし、たしかに困りものですね。しかしフンを目の敵にする風潮には、待てよ、と言いたくなります。
目の敵にするなら、犬のフンよりも、車にとってだけ大事な、アスファルトの方だろうといいたくなってしまいます。
犬にとっては、もちろん人間にとっても同様ですが、フンは生体メカニズムの中での大事な産出物であり、それを「汚穢物」として切り捨てることは、生命そのものの軽視にも繋がってくるような気がいたします。先月26日に「樹木の運命」で述べた、枯葉を敵視することによって、ケヤキを苛め抜いても何の痛痒も感じなくなることと、共通していることでしょうか。 |
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道路際ノリ面にせり出した、野生の藤の花。庭に造られた藤棚に咲く花にくらべて、清清しい美と品の良さを感じてしまいます。 |
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山の匂い |
5月2日 |
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本降りの雨に煙る里山を眺めながら徘徊。緑が一段と濃くなって、山が膨らんだような気がします。田んぼの雑草の色が目に沁みて、心まで洗ってくれるようでした。やがて蛙の鳴き声が聞こえ出し、もう、そんな時期が巡ってきたのかと、驚かされました。
大昔、毎週のように低山を徘徊していた頃を思い出します。当時、出掛けに雨の予報だと嬉しかったものでした。雨の山では草木が歓ぶ気配に満ち、その精気が甘い香りとなって漂っていました。山に棲む精霊に会えたような、幸福な気分に浸ったものです。今日の徘徊では、山の空気と似たような匂いを感じることができました。 |
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矢車草 |
5月1日 |
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兜川の土手にて。
雑草の中に咲く青紫の矢車草は、ひときわ艶やかです。
雑草の中に咲く、というより、もはや雑草の仲間であり
、雑草として咲いているといった方が適切かもしれませんね。青い矢車草は昔から好きな花の一つですが、花壇できちっと管理され咲いているより、なぜか上等に、より高貴に輝いて見えてしまいます。 |
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